大鳥大社の門前町として栄えた現在の鳳本通商店街。商店街として成り立ったのは昭和20年代とされ、以来、堺南部はおろか、和泉中央や高石あたりのお客さんがごった返していたそうだ。
そんな商店街の歴史を「大和屋薬局」「Live Cafe ZAZA」を営む中井博文さんに聞いてみた。
鳳本通商店街がある通りは古くから熊野街道として知られ、熊野詣のおり平清盛が大鳥大社で和歌を詠み、街道を歩いたという逸話もあるほどの歴史ある通りだ。その後、昭和4年に阪和線が開通し鳳駅ができてから徐々に賑わいが増し、戦後昭和 20年代後半からは商店も増えはじめ、近隣の町の人も「買い物は鳳で」と人でごった返すようになったそうだ。
今回話を聞いた中井博文さんは「うちのおじいさんが商売を始めた頃にはもう商店街化していましたね」と言う。大鳥大社の門前町でもあるこの通りにアーケードができたのは昭和30年半ば。当時のアーケードはヒモ開閉式のジャバラ状であったと言う。中井さんは当時を振り返る。「子どもの頃はそれは凄かったですよ。人がひっきりなしにやってくるし。今では考えられないくらい賑わっていましたね」。
その後昭和40年代に入り商店街振興組合ができ、商店街はより活性化していく。その効果もあり、昭和50年代に入ると2代目となる現在のアーケードが完成。50年代半ばまでは平日休日を問わずかなりの人が訪れ「盆も正月もないような忙しさ」だったという。
しかし昭和55年に、徒歩数分の場所にダイエー(おおとりウイングス)ができ、近年ではアリオ鳳もオープン。商店街からは潮が引くように客足が減ってきた。
それでも、各地の商店街でシャッター化が進むなか、鳳本通商店街には組合に入っている店舗は58を数える。そして、各店の店主さんたちは一様に元気と笑顔が絶えない。中井さんも2年半前に自身の趣味である音楽で商店街を活気づけるために Live Cafe ZAZAをオープン。息子さんに代は譲ったが、大和屋薬局との二足のわらじで活躍を続けている。
商店街で営む人も、商店街に訪れる人も、その心の中には思い出や懐かしさがある。そして、これからも発展し続けたいという思いも。それこそが、鳳本通商店街の歴史。それがどういうことなのか、商店街を訪れてみれば自ずと分かるはずだ。
【出典】おおとりしょうてんがいのほん / 鳳本通商店街振興組合 2021年2月28日 発行
編集・取材・文 / 平井 和哉 (0.1knot)
古くから熊野街道として知られた歴史ある通り
2代目アーケードの工事中の様子
2代目アーケードの工事中シャディサラダ館前
2代目アーケードの工事前。現在の関西みらい銀行前より
(関西みらい銀行は2021年3月に移転)
アーケードの入り口付近にパチンコ店が。
当時の賑わいを感じさせる
アーケード完成イベントのゴンドウクジラの解体ショー
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